同志社女子大名誉教授 福田京一

合理主義、理性、物質主義、科学、慣習と制度と法律、伝統、古典主義、現在、他者などに対する反措定として感情の発露を原動力とするエゴ(自我)の営みがロマンチシズムであると大雑把にとらえてみれば、芸術に限らず哲学や社会思想、さらに政治の分野においてその創造力が生み出した影響は計り知れないほど深く広い。創造に携わる人なら、程度の差こそあれ、この力を糧にしないものはないだろう。究極において創造行為とは抑圧からの自我の解放であり、病める自我の救出の暗喩であると納得すれば、ロマンティシズムとはさしずめ創造の神と言ってもよいのではないか。

とりわけ近代になって、世界が劇的に変化するなかで自我が強く意識にのぼるようになった。それ以来、芸術はロンティシズムと深く関わるようになった。自我を抑圧から解放する営みが様々の領域での革命と結びついたのは感情の力のせいであり、それが戦いの場で強力な武器となった。愛も嫉妬も、憎悪も義憤も憐憫の涙も慚愧の涙も、恐怖も畏怖も、哄笑も微笑も嘲笑も、その激しい感情によって人が我に帰り、同時に他人とつながるための手段になることを知ったのである。あとは表現をどうするか、であった。感情過多になってゲーテが言うように「病的」にならないために。18世紀も19世紀も、そして現在も、事情は変わっていない。

ここにエミリー・ディキンソン(1830-86)の詩がある。

This is my letter to the World
これはわたしからの世間への手紙
That never wrote to Me –
一通も私はもらわなかったけれど、
The simple News that Nature told –
自然が語ってくれた素朴な報せです、
With tender Majesty
優しく威厳をもって
 
Her Message is committed
託された彼女の言づては
To Hands I cannot see –
見知らぬ人たちに差し出されたもの、
For love of Her – Sweet – countrymen –
どうか彼女を愛するなら、心ある、皆さま、
Judge tenderly – of Me
優しく裁いてくださいね、私を

なんとチャーミングな言葉か。保守的な田舎町アーモストで、人知れずせっせとノートに短詩を書き貯めては、当時高名な文学者T. W. ヒギンソン先生に送って理解と支援を求めたが、夢叶わず、彼女は無名のまま消えていった。しかし、孤独と世間の無理解に悩みながらも、押しつぶされることなく、彼女は自我の営みを言葉によって紡ぎ続け、世間に、そして未来の世代に向かって、密やかに発信していたのである。やがて時と場所を超えて蘇った彼女の言葉は私たちの心にじかに語りかけてくる。

A word is dead
言葉は死ぬのだ
When it is said,
それが発せられた時に、
Some say.
そう言う人がいる。
 
I say it just
わたしに言わせて頂ければ
Begins to live
生きはじめるのです
That day.
その日にね。

「詩は力強い感情が自然に溢れたものである」(Poetry is the spontaneous overflow of powerful feelings)と言ったワーズワスの定義がロマンティシズムの理解を歪めてしまったのは残念であった。感情の発露は創造のための起爆剤として効果がある一方、その行く末のことに気づかず、往々にして独り善がりに陥った。感情に駆られて饒舌になるのではなく、もっと言葉の力を信じなさいとディキンソンは言っている。その意味では、もっと自由に詩を書くようにと忠告したエズラ・パウンドに「ネットなしでテニスをしてどこが面白いのか」と反論したロバート・フロストの作詩法はロマン派にとって含蓄のある忠告だと思う。

(2019.9.7)