サイコ・セラピスト入門講座⑴
フィラデルフィアでの体験
    ニューヨーク州立大客員教授・作家 濱野成秋
 
1 精神分析学と心理学は別物
 
 心理学は歓びと悲しみの学問。
 精神分析学は構造力学にすぎない。
 僕はよくこう言います。それは、心理診断士の称号を出す立場からいうと、若い諸君になんとか世の中の困っている人々に役に立ってもらいたいという気持ちが絶えず胸中に去来するからだと思います。
 この世の中に心理学より精神分析学を優先するドクターが多すぎるから、患者は冷たく理詰めに扱われるし、分析されればされるほど治らない。いや却って症状が深刻になる。もう自分の異状性は手の施しようのない段階に来ている、と観念する。ドクターの深刻そうな表情も患者の内奥にへばりつく。なぜもっと彩りのある心理学で治癒するセロリーと入れ替えないかと僕は助言するが、聴く耳を持たない人は多い。そのほとんどが、もう、癒し難い患者の一人になっている。
 フィラデルフィアにある「アインシュタイン記念病院」の精神科でのこと。僕がそんな病院でセラピーを行なう幸運に恵まれたのは、NY州立大バッファロー校のL・フィードラー教授とサイコセラピー論を展開中だった頃、僕は学内にいたフロイディアン(フロイト学派の学者)と親しくなり、彼らの口からフラデルフィアまで伝わって、この、第一級の病院の主任教授の私邸に一時逗留しているとき、教授が僕のセオリーに共鳴してセラピーの実地体験をさせてくれたわけだった。
 
2 セラピーは症例から割り出そう
 
 その時のセラピストは私だけだった。患者は30人もいて、大半が女性だった。彼女たちは訴える行儀良く腰掛に並んでいて、看護師が名前を呼ぶと一人ずつ立ち上がって私の前に座り、「不眠症です」、「早朝、目覚めて死にたくなる」、「幻聴に苦しんでいます」、「割り安に買った家ですが、夜中、廊下を歩く音がして…寝室のノブがカチャと鳴って…」
 皆取り越し苦労だ、見るからにリッチな暮らし向きで…などどコンセプトのジェネラリゼーションしてはだめ。瞳の動きから揺らぎまで、微妙に読み取らねば最高の暗示を出せない。
 それも制限時間内に診断しなければ嫌がられる。
 なぜなら時間をかけると治患者負担の療費が嵩むし、待機中の患者はその待合室の部屋代まで払わせられるのがアメリカのやり方だから、患者からクレームが出ないようにそそくさ結論を出す必要がある。
 僕は目つきの診断から異状を読み取り、興奮上気の鎮まらない50歳代の女性のパームリーディング(手相)をやった。手相? なぜ? あなた、ウイッチドクター?(魔女裁判)
 中年女性の驚きに満ちた目。ドクターがフォーチュンテラー(運勢診断)をするとは呆れたわ…そんな目つきだ。
 「あなたの手のひら、赤いね…でも温かい」と僕。
 「運勢を掌の皺ではなく色で看るの?」
 「赤いのは血液が末端部分まで行き渡っていることの証拠」と両手で挟んでやると、確かに温かい。「これは健康な証拠だ、あなたが病むのは身体的な原因ではないですよ、心の持ち方がよくない。もっと自信を持って生きること。元気なんだ、まだまだいける。そう思って頑張ると、君の運勢は大いに開けるよ、請け合いだ」
 と言ったら、相手の目が急に明るくなった。「そんなこと言われたのは初めてです…サンクス・ア・ロット!」急に活発になって立ちあがり、握手を求めてきた。
 
3 診断には欠かせない「暗示」
 
 診断後、回復に向かったのは8名もいたとワイス教授が電話してくれた。
 こんな現象はバッファローでも起こっていたので、僕としては予測通りだったけれども、みなさんはどう受け止められますか?
 診断士は分析だけでは患者は迷う一方です。シンプトムを百例出して、つまりそういった分析をやってのけて、全部患者の前で並べ立てたら、もう最悪。多くの症例から絞り込み、それだけ言って、それに相応しい励まし言葉が患者には必要なのです。その励ましが実地検分に基づいていなければ効果に結びつかない。「暗示」というのは、「そそのかし」の意で、よくない意味も含まれますが、心理療法士は必ず科学的根拠に基づいて解析し、そのデータに基づいて「暗示」してやることが大事なのです。
 「暗示」は精神分析学でいう「無意識」(unconsciousness)に与える助言で、これが回復への強力なプッシュ要因になります。
 逆にマイナス要因となるシニフェ(発話)があります。
 それは療法士が無意識に発する言説でその典型的なものは、患者の前でけっして言ってはいけないこの言葉です。
 「色々調べてみても、よく解りませんが、しばらく様子を診てみましょう」 
 ドクターのこの一言で相手はバイバイして去って行くことでしょう。なぜなら、そんな常套句は今まで飽きるほど聞かされていて、またか、こりゃだめだ、と思って気持ちが退嬰的になって自力で立ち直ることが出来なくなるからです。
                          (to be continued)