三浦短歌会との合同歌会 令和三年四月十七日
       記録と詞書 日本浪漫学会 河内裕二
 
 四月二十日頃のことを二十四節気で「穀雨」と言う。穀物を潤す春雨が降ることから名づけられた。この時期に降る雨について調べてみると、穀物を潤す雨で「穀雨」と同義の「瑞雨」、草木を潤す「甘雨」、菜の花が咲く頃に降る「菜種梅雨」、春の長雨の「春霖」、花の育成を促す「催花雨」、卯月に降る長雨の「卯の花腐し」など多くの名前がある。
 歌会当日はあいにくの雨だったが、三浦は畑が多く野菜の栽培が盛んである。植物にとっては恵みの雨になっただろう。四月十七日は午後一時半より三浦短歌会の皆様と日本浪漫学会が合同で歌会を行った。会場は三浦勤労市民センター。出席者は三浦短歌会から三宅尚道会長、加藤由良子、嘉山光枝、嶋田弘子、清水和子、玉榮良江の六氏、日本浪漫学会から濱野成秋会長と河内裕二。三浦短歌会の桜井艶子氏も詠草を寄せられた。
 
  ゆく春の橋の上なるおぼろ月
    黄砂のせいとつれないラジオ 由良子
 
 作者は加藤由良子さん。「おぼろ月」というと唱歌『朧月夜』を口ずさんでしまうのではないだろうか。『朧月夜』は作詞が高野辰之、作曲が岡野貞一で、このコンビは他にも『故郷』『春が来た』『春の小川』などの素晴らしい日本の歌を作っている。「白地に赤く日の丸染めて」で始まる『日の丸の旗』も彼らによるものである。
加藤さんも「菜の花畠に入り日薄れではないが」と先ず『朧月夜』に言及され、ご自身が夜空に浮かぶ月を見て今日はおぼろ月だとロマンチックな気分になっていたら、ラジオで十年ぶりに関東でも黄砂が確認されたというニュースがあり、飛来した黄砂のせいで月が霞んでいたと知り少々興ざめしたとのこと。たしかにどこか不毛なイメージのする乾燥した砂漠の砂で霞むのと霧や靄などの空気中の水分に包まれて霞むのとでは「おぼろ月」も気分的に異なるだろう。
 おぼろに霞んだ月の美しさに日本人はずっと魅せられてきた。『新古今和歌集』にも朧月夜の歌がある。
 
  照りもせず曇りも果てぬ春の夜の
     朧月夜にしくものぞなき 大江千里
 
 この柔らかな光の感じを好むからこそ日本家屋では障子が使われるのではないだろうか。谷崎潤一郎の随筆に『陰翳礼讃』というのがあるが、日本人はあまりギラギラ明るいのを好まない。陰影の中で映えるものを美しいと思うのである。
 
  満人の近くの店から漂へる
     食欲そそる中華の匂ひ 光枝
 
 作者の嘉山光枝さんのご自宅の近所には中華料理屋があり、お昼時に美味しそうな中華料理の匂いが時々風に乗ってやって来る。その何気ない日常を詠った一首。
 初句の「満人の」によって歌のイメージが膨らむ。お店をされているのは中国の方だそうだが、東北部の満州出身かどうかは不明とのこと。そこをあえて満州出身とすることで彼らに対して興味を抱かせる。満州というと満鉄や満州国さらに終戦後に命がけで日本に引き上げてきた引揚者のことなどが頭をよぎる。ある時はロマン、またある時は悪夢。日本人にとって「満州」は中国の他の地名にはない特別な意味合いを持っている。
 「雪の降る夜は楽しいペチカ」という歌詞で始まる作詞北原白秋、作曲山田耕筰の『ペチカ』という童謡がある。筆者はずっとロシアについての歌だと思っていた。ペチカとはロシアの暖炉のことだからである。しかしこの歌はもともと一九二四年に発行された『満州唱歌集』に収められた唱歌で、当時の満州を舞台にしている。歌を依頼された白秋と耕筰の二人は満州まで行って制作した。今回その事実を知った。
 
  病超へ遂げし娘の記録見て
     揺れる母御の心測れり 和子
 
 作者は清水和子さん。白血病を克服し日本選手権で優勝を果たした水泳選手の池江璃花子さんの話を聞いて詠まれた歌。池江さんご本人ではなく彼女のお母様の心境を歌われたのは、清水さんご自身がいつも母親としてお子さんのことを心配しているからで、お子さんが重い病気になった池江さんのお母様の気持ちを考えずにはいられなかったとのこと。
「今の若いお母さんは気持ちが強くて娘を絶対に勝たせてあげたいと思うかもしれないが、自分などは水泳が続けられなくてもオリンピックに出られなくても体を大事にしてただ元気でいてくれたらそれでよいと思ってしまう」と清水さんは仰る。食糧事情が悪く戦争もあって多くの人が亡くなった時代を生き抜いてきた清水さんの「ただ元気でいてくれたらよい」というお言葉には重みがある。たとえ清水さんの仰るように世代によって考え方に違いがあるにしても、わが子を想う親の気持ちは変わらないだろう。『万葉集』にも次のような歌がある。
  
  あの人もこの人も「いい人ね」って
     思える今日の元気な証拠しるし 弘子
 
 作者の嶋田弘子さんは、最近短歌は必ずしも古典的でなくてもよいのではないかと思われたそうで、俵万智や若い歌人の自由な歌からご自身も「五・七・五・七・七」の定型に縛られない歌をお詠みになったとのこと。他人を良く思えない時は、自分の調子があまり良くないと経験から感じておられて、そのご自身のバロメーターを歌にされた。誰でも自分のことを知るのは難しい。他人に対する気持ちから自分の状態を知る。たしかに自分の心に余裕がないと、人に対して優しくなれないものだ。
 
  銀も金も玉も何せむに
     まされる宝子にしかめやも 山上憶良
 山上憶良の「子等を思う歌」の一首である。
 
  この世をば散りて去りたるさくらばな
     実をば結ばめ春は来ずとも 成秋
 
 濱野成秋会長の歌。桜の花でご自身の気持ちを表現されている。一般的な桜であるソメイヨシノは、花は美しいが実を結ばない。桜の花のように自分も散ったら終わりなのだろうか。たとえ散ってしまって春が来なくとも実を結んで次の世代に残してほしいというお気持ちがある。ご自身のお仕事などを振り返ってみても、たいして実を結んでいない気がして、この歌が出てきたと仰る。参加者の皆さんもそれぞれ歩んでこられた道は違えど同じ気持ちであると共感された。
 『新古今和歌集』に後徳大寺左大臣の桜の歌が収められている。
 
  はかなさをほかにもいはじ桜花
     咲きては散りぬあはれ世の中 後徳大寺左大臣
 
 世の儚さは桜の花の他には喩えようがないと言っているが、濱野会長の歌にも通ずるところがあるだろう。
 
  だんボール入りし柔らか春キャベツ
     家族総出の収穫すすむ 良江
 作者は玉榮良江さん。玉榮さんの作品はいつも鮮明に情景が浮かんでくる。描写が巧みだからだろう。三浦はキャベツ畑が多く、春にはこの歌のようなシーンがよく見られる。キャベツは夏にも収穫されるが、収穫のスピードが要求されるのか家族総出で行うのは春だと仰るのは嘉山さん。柔らかくて甘い春キャベツも採れたては鮮度がよく当然美味しいのだろう。
 
  相模湾一望にして春霞
     湯舟につかり友と語らむ 艶子
 
 今回はご欠席の櫻井艶子さんの作品。ご友人と熱海に行き楽しい時間を過ごして幸せを感じた時に詠んだとのことで、この作品も玉榮さんの作品と同様に情景がはっきり浮かんでくる。まるで絵画を見ているかのようで描写に無駄がない。友と語らふ声までが聞こえてきそうである。「相模湾」という具体的な場所を示す固有名詞の使用もこの歌では成功している。作品に現実感を与えるとともに、この辺りを知る者なら海には何が見えるのか。伊豆大島か伊豆半島か三浦半島かなどと想像できるのもまた楽しい。。
 
  花時に自粛求むる時の
     太子偲びて現在いまを生きゆく 裕二
 今年は聖徳太子の千四百回忌の年で、四月の初めに奈良の法隆寺で法要が行われた。百年に一度の節目だったが、新型コロナウイルス感染症の影響で感染防止対策を行って規模を縮小しての実施となった。その様子をニュースで見て筆者が詠んだ歌である。
 美しく桜が咲いても昨年に続き花見はできす、接触や蜜を避けるため人に会うこともままならない。この生活はいつまで続くのだろうか。日本のように人びとの自粛に任せてそれなりに行動が抑えられている国は珍しいと言われている。国民性と言えばそれまでだが、なぜそうなったのか。聖徳太子が作った十七条の憲法は第一条「和を以って貴しと為す」で始まる。日本人はその精神を現在まで受け継いできたのではないか。聖徳太子は当時猛威を奮った流行り病で亡くなったとされている。三宅さんのお調べになったところでは天然痘のようだ。太子はちょうど今の筆者の年齢で亡くなった。千四百年の時を越えて、今一度太子の教えに耳を傾け、コロナ禍を生き抜いてゆかねばならない。そんな気持ちでこの歌を詠んだ。
 
  夫とゆく揃いのマスクでコロナ禍を
     浮世さだむや総合病院 弘子
 
 上句を読んで仲の良いご夫婦が一緒にご旅行にでも出かけられるのかと思って下句に進むとお二人で通院されることがわかり一気に緊張が高まる。本作は先日夫に病気が見つかりご夫婦で病院に行かれたという嶋田弘子さんの歌。二人で通えるのは嬉しいが、その場所が病院でしかもコロナ禍。夫の病気とコロナの両方が心配になる。どうしたものか。その浮き世を定めてくれるのが大きな総合病院というまとめ方はお見事である。
  自衛隊訓練生はひたすらに
     パドル動かす春のうしほに 尚道
 
 作者は三宅尚道さん。自衛隊武山駐屯地に陸上自衛隊高等工科学校があり親元を離れて全国から学生が集まってくる。今の時期は学校前の長井の湾でカヌーをやっている姿をよく見かけるそうで、学生は必死にパドルを漕いでカヌーを進めるが、腕力の違いが如実に現れると仰る。まだあどけなさが残る新入生も厳しい訓練を受けて卒業する頃には心身ともに逞しくなり立派な自衛官になって巣立ってゆく。在学中は給与が支給されるのだから規律や訓練は相当厳しいだろう。三宅さんの歌からもその厳しさが伝わってくる。
 「春の潮」という言葉から受ける温かい海でみんながのんびり遊んでいるような印象とそのような場所で「ひたすらにパドル動かす」と彼らが真面目に厳しい訓練に取り組んでいるという二つの言葉の組み合わせが秀逸であると仰るのは清水さん。たしかにその通りである。遊びたい盛りの若者たちが楽しくしている人たちを横目にストイックに訓練に打ち込むその姿が目に浮かんでくる。
 歌会を終えていつものようにカフェ・キーに移動する。お茶をいただきながらしばらく歓談する。
 今回の勉強では、五・七・五・七・七で各句を前後逆転させたり言葉を少し変えたりすることで短歌としてとても引き締まったように思う。その助言をされた濱野会長は後で申し訳なかったと言われたけれど、散文の調子から詩的な短歌に仕上がった感があり、皆さんに参考にしていただけた。筆者自身も皆さんの歌を読ませていただき、その歌をどのような思いで詠まれたのかを伺って、その思いを伝える表現を工夫するやり方を濱野会長の助言から学ぶことができて大変勉強になった。
 コーヒータイムを終え、お店を出るころには雨も小ぶりになっていた。港の向こうには城ヶ島が見える。今日はまさに「雨はふるふる」である。新型コロナウイルス収束の兆しは見えないが、これまで外出許可が下りずにご欠席されていた清水さんに初めてお目にかかることができた。今回も実りの多い大変充実した一日となった。